なにげなく生活していると、ふとなにかが目に止まるときがある。
それは往々にして、私が意識して目に触れないようにしていた、まぶしいあこがれ。
見なければ、傷つかずにすんだ。
パッと目に入った瞬間、心がキラキラして、ワクワクして、弾む。
いいな、綺麗だな、美しいな、かわいいな、私もこうありたいな。
最初はウキウキする。
だけど、段々と「いつか私はここに辿り着けるのだろうか」という気持ちになり、少しずつ落ち込みはじめる。
お金を出せば、大体のものは手に入る。
たとえばかわいいハンドプリントのハンカチ。
オシャレな器。
だけど私はこのままだと一生、作る側の人間にはならないんだろうな。
お金を出してあこがれを手に入れることはできるけど、あこがれを生み出す人物そのものではない。
それがひどくむなしい。
真似をしてなにか作ってはみるものの、あまり楽しくならない。
心がキラキラしない。ワクワクしない。
この現象はなんなんだろう?
どうして子供の頃のように、夢中になって絵を描くことができなくなってしまったんだろう。
今でも定期的絵を描いたり、歌ったり、服を作ったりはするようにしているけど、もうあまり楽しくない。
いつになったら元に戻れるんだろう。
たくさん本も読んだけど、わからない。
毎日そのことについて考えると、そのたびに傷ついて生きていられないので、あまり考えないようにしている。
物語を読むことから始めようか…。
最近は小説を読むようにしている。
空想するのは楽しい。
文字だけの情報から情景をイメージする。
「小さな個展に展示された真っ白な絵」?こんな感じかな。
主人公はこんな見た目かな?絵に描いてみる。
すこしずつ、すこしずつ。
空想のリハビリ。
スマホが近くにあると気になるので、別の部屋に置いてみる。
部屋が散らかっているのも気が散るので、片付ける。
そういえばそもそも、私はどんな人にあこがれていて、どんな人物像になりたいんだっけ?
紙に書き起こしてみる。
いつか会ってみたい人、お話ししてみたい人、行ってみたいお店、場所。
挑戦してみたいこと、気になってること。
どれか実現できそうかな?
小さい夢から叶えてみようか。
すこしずつ、すこしずつ。
太陽に焦がれて身を焼かれる。
まぶしいものは直接浴びると体に有害だけど、すこしずつ体を慣らしていけば、いつか近くに行けるかも。
あこがれに蓋をするなんてもったいない!
傷つくのが怖いなら、チラ見、チラ見ですこしずつ慣れていこう。
(そもそも傷つくのは、自分と比較してしまうから。
そんなに努力していない私が、その人たちと同じステージに立ててると思ってしまっているのはおこがましい)
蓋をしたまま、目の前にある「インスタント快楽(お手軽に手に入る快楽)」でごまかし続ける毎日よりは、半泣きでも、前に進んでる実感を得られる方がいいな。
気がつくと、星の王子さまの嫌う「ネクタイの自慢を楽しそうにする大人」になってるので気をつけないとな、と思う。
ヘビが飲み込んだものが帽子かゾウか、想像する方が楽しいんだったかな。
別にそれでもいいんだけど。
現実的な人や、ネクタイの自慢をするのがとっても楽しい人は全然それでいいと思う。
それがいいこと、悪いこと、とかそういう話ではなく、単純に私の好みのお話。
やっぱりキラキラするもの、ワクワクすることは大好きなので、忘れないようにしたい。
すこしずつ、前にすすんでいればいいなあと思います。